武田鉄矢・今朝の三枚おろしにて、映画「この世界の片隅に」の特集がありました。なんと、最近TSUTAYAにハマっている武田鉄矢さんが、自ら鑑賞して自ら語る会なのです!
私は、自他ともに認める「この世界の片隅に」のファンなのですが、丁寧に細かく語っているので、朝の通勤でニヤケが止まりませんでした。
本記事は、今朝の三枚おろしで武田鉄矢氏が語った魅力を、ダイジェスト形式でお届けできればと思っております。
目次
一週目
メッセージ性を全面に押し出さない
本作のジャンルは、広島の原爆を描いた作品であり、反戦や平和への願いが込められていると、氏は語ります。
そこで武田鉄矢氏が感動していたのは、メッセージ性を全面に押し出さないという巧みさです。
背中に木箱を押しつけるという細かさ
本作の冒頭で、すずさんは船着き場の石垣に押し付けて、木箱を背負っています。氏はその光景を見て、背中で木箱を背負うために、電信柱に木箱を押し付けているような過去の記憶が蘇りました。
そういった細かい描写の数々に氏は魅せられ、少しずつ「この世界の片隅に」の世界に引き込まれていきました。
原爆で燃える前の広島の光景
広島の風景は。とても綺麗です。すずがすれ違う人たちは、普通に広島の街を歩いています。
原爆で燃える前の広島は、こんなにも美しい光景だったのかと、氏は語ります。
アレと思った点
バケモノと出会った時に、すずはバケモノが背負っているカゴに入れられてしまいます。そのカゴの中で出会った青年は、誰だったのでしょうか?
氏は、カゴの中で出会った青年が将来の許嫁であると語ります(注釈:北條周作のことです)。北條周作は、カゴの中ですずを見初めました。
結婚という重大な決断にもかかわらず、すずは「さてさて、困ったねぇ」と可愛く首をかしげながら、嫁に嫁いでいきます。実に平凡な結婚生活が、ここから始まるのです。
水原哲が初恋相手
氏は、水原哲がすずの初恋の相手だったと語ります。すずは、映画の中で見初めた人がやってきたと言われた時に、幼馴染の「水原哲」とすれ違っています。
- (すず)あんたと思うたんよ
- (哲)この慌てものが(少し怒り気味に)
- (すず)あんたじゃなかったのかい
嫁ぎ先が期待とは違ったすずですが、着物を一丁持って、口紅を少しだけ塗って、椿の花が一輪のシーンに、氏は切なさを感じました。
嫁ぎ先の呉へ向かうすず
呉へ向かうすずは、歩きと鉄道を乗り継いで、北条家のある呉へと向かいます。和服にもんぺの姿のすずを観て、氏はジーンと来ました。
見初めた人は、北条周作という海軍に勤める青年です。北條サンの体調が思わしくないため、女手が必要であるという理由もあったようです。
すずさん、傘は持ってきたかね?
すずのおばあさんは、結婚前に「傘は必ず持っていけ」とすずに伝えます。
なんと、傘を広げて見せる行動は、結婚がOKであるという地方の合図だったのです。映画の中では、この辺りのくだりが詳しく語られる事はありませんでした。
戦時下の暮らし
戦時下のすずの暮らしは、細かく描かれています。白米に芋を大量に混ぜたり、たんぽぽの葉、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)、そして梅干しの種まで、ダシに使います。
ひたひたと日常が描かれるシーンに、氏は切なさを感じました。アニメは淡々と描きますが、氏はどんどんと吸い込まれていきます。
戦争の足音は、たった一枚のスケッチで憲兵に捕まるくらいに、刻々と近づいていました。
この世界の片隅には人形浄瑠璃である
私達は、何故すずさんに魅了されるのでしょうか?氏は、実際の人間が演じるよりも、アニメだからこそ可能であると語ります。
生身の人間が演じるよりも、手で操った人形のほうが感情を伝えられる、人形浄瑠璃という伝統芸能があります。氏は、この世界の片隅には人形浄瑠璃のような魅力があると感じました。
人形浄瑠璃が、人間の悲劇や苦悩を描く傑作を多く持つのは、人形が人間を演じているからであり、人形ゆえに悲劇を怯むことなく悲劇を凝視できるのです。この世界の片隅にもまた、アニメゆえに凝視できたのだと氏は語ります。
二週目
クオリティの高さに圧倒される
「この世界の片隅に」を鑑賞し、感動した武田鉄矢氏は、今朝の三枚おろしで2週に渡って放送することを決意します。
特に私は、水谷加奈さんの「世界中で放送されている」という発言に対して、素直に喜んでいるくだりの部分が、とても大好きです。
戦争は突然やってくる
すずの暮らしを淡々と描いていく本作ですが、中盤からは、呉の街が米軍の攻撃目標となってしまいます。
・・・なんと、のどかだった風景が、戦場と化してしまうのです。
米軍の艦載機は、高射砲の外れ弾の煙を避けるようにして、すずの裏山までやってきます。怖い思いをしたすずですが、呉軍港に投下された爆弾で浮かびあがった魚を、塩焼きにして食べるといった、たくましさも見せます。
細かい描写
物語が昭和20年8月に近づくにつれて、広島の隣町、呉で物語が進んでいることを、氏は実感します。
氏は、本作の「昭和20年4月以降の描写が、実に細かい」と語ります。
描写の細かさは「爆撃機の空襲によって、干していた洗濯物がすすで汚れる」といったシーンに、あらわれています。
広島に帰らないでほしい
周作がいなくなっても、嫁として呉の家を守り続けるすずですが、呉は軍港があるため、何度も空襲に襲われてしまいます。
そのため、すずは広島の実家から「早く実家に帰ってこい」と言われています。
しかしながら、広島に原爆が投下される事実を知っている氏は「頼むから実家に帰らないでくれ」という、悲痛な心の叫びをあげます。
叫ばない悲しみこそ人形浄瑠璃である
防空壕で爆撃に耐えたすずが、表に出ると、そこにはやかんを持った主婦が立っていました。その主婦は、さっきまであったはずの家の残骸を、じっと見つめています。
氏は、「後ろ姿の主婦の背中の震え、実に悲しみがリアルである」と語ります。叫ぶよりも、叫ばない声のほうが悲しいのです。
人形浄瑠璃の巧みさが、ひたひたとこの辺りから表れていると、氏は実感します。
全身から声を出すのんさん
米軍の敵機から放たれた焼夷弾は、ついにはすずの家を襲います。すずは、必死に火を消すため、片手のない身体でのたうち回ります。
氏は「この時の声が只者ではない」と語ります。声の出方が声帯ではなく、足から指の先まで、全てを使って声を出しているのです。胸を打つ声に感動した氏ですが、その声優が、のん(能年玲奈)さんである事を知りました。
「この子はうまい!」氏は、女優の本領を発揮して役に憑依するのんさんに、ただただ感動を覚えました。
床下に隠したさつまいも
氏は、本作が「空襲の悲惨さを、実にのどかに語っていく」作品であると語ります。
「床下に隠したさつまいもが綺麗に焼けたけぇ。食べなさい」氏は、この一言に突っ伏して泣きたくなるような感情を覚えました。そして、この辺りからは、加奈さんも一緒になって泣き始めます。
迫真の演技
サギが舞い降りるシーン、すずは、必死にサギを逃がそうとします。しかし、飛び立ったサギと入れ違いに、なんと米艦載機がやってきました。
戦闘機に狙われるすずですが、広島に帰ったはずの亭主に救われ、なんとか危険を回避します。しかし、この時すずは、広島に帰ることを決意しました。
「わたしゃ実家に帰るんじゃー」すずの悲痛の叫びです。のんさんの迫真の演技であると、氏は感じました。
見つめ合いこそ人形浄瑠璃
広島に原爆が落とされる日、すずは広島へと帰る準備をしていました。この時、すずは、晴美のお母さんで周作の姉である黒村径子(くろむらけいこ)と、無事に仲直りを果たします。
見つめ合う二人、氏は「この見つめ合いこそ人形浄瑠璃である」と語ります。
わらじに泣く加奈さん
広島の街は焼けただれてしまい、まともに歩けるような状態ではありません。呉の人々は、靴の底が焼けないように、わらじ作りを始めます。
すずは、片手でも懸命にわらじを編みます。もうこの段階では、涙が止まりません。感動する加奈さん、思わず泣き出してしまいます。
昭和天皇が終戦を告げる頃には、出演者が全員が泣いているような状態でした。
かぼちゃの花
昭和天皇の敗北を告げる声を聞いたすずは、段々畑で泣きじゃくります。
側では、かぼちゃの花が綺麗に咲いてました。こういうシーンも忘れがたいと、氏は語ります。
見事な終わり方
本作は、突然別の物語が入り込んできます。原爆に襲われた、親子の物語です。
母親を失った子供は、一人路頭を彷徨っています。おにぎりをきっかけにして、子供と出会ったすずは、呉の家まで連れて行くことを決意します。連れ帰えった子供には、死んだ晴美の服がぴったりでした。
本作は、ここで終演を迎えます。これは実に巧みであると、氏は感じました。日本の伝統文化である人形浄瑠璃のような、アニメにはこういう魅せ方があったのです。
麦の穂のような人たち
阿川弘之さんのエッセイに、氏は感銘を受けました。
戦争を終えて広島に戻った阿川青年は、焼け野原の広島に絶望します。失意に広島を歩く阿川青年ですが、未来を諦めかけたその時、焼け野原に伸びる一本の麦の穂を見かけます。
阿川青年は、焼け野原に立派に伸びる麦の穂を見て、日本の未来は大丈夫だと確信しました。
人形浄瑠璃を通し、麦一本の想いを描いた作品こそ、この世界の片隅にある想いではないでしょうか?
さいごに
北條周作の職業を、海軍工廠に勤める父と勘違いしていたり、哲が帰艦した艦を巡洋艦秋月と発言していたり(注釈:正解は青葉)と、細かな間違いこそありました。
しかしながら、熱心かつ情熱的に「この世界の片隅に」の魅力を語る武田鉄矢氏の姿に、私はとても感動を覚えました。